[映画][インセプション] コブとモル周りの話を整理

今回はコブとモルがああなった経緯をまとめてみる。

コブとモルは愛し合いすぎて夢の世界を2人で探求するだけでなく、さらに下の虚無の世界に到達した。だけど、モルはその中で夢と現実の区別が付かなくなってしまった。そんなモルを元の世界に引き戻すために、コブはモルに “Death is the only escape."(死が唯一の救い)であるというインセプションをする。

そうやって、虚無の世界からモルは脱出できたんだけど、現実に戻ってからもその考えがどんどん成長してしまった。「ここは現実じゃない。死んで現実に戻らなくちゃいけない」という風にね。結果として自殺しちゃう。コブが自分のやったことを「罪」だと言ったのは、自分のやったインセプションが妻を殺すことになったからである。

モルはコブのインセプションによってどうなったか。目の前の世界を現実として受け入れられなくなったのである。たとえ幸せであろうとも、「ここは夢の世界だから、現実に戻らなくちゃいけない」と考えてしまう。死ぬことによって幸せな世界に「戻れる」と思い込んでいる。

モルの願いはコブと子どもたちとみんなで幸せになることだから、この「嘘の世界」で幸せになってはいけない。だから、コブと子どもたちを引き離すために(コブにも一緒に「現実に戻ってもらう」ために)、妻殺しの罪をコブに負わせ、同時に自分は死ぬことを選ぶ。

モルの死のあと、今度はコブがモルの死を受け入れられなかった。モルを夢の中に創りだすことによって、「妻はまだ生きている」という考えを軸として、現実と夢が区別できなくなる。

コブの願いはモルと全く同じで、モルと子どもたちとみんなで幸せになることだ。コブにとって子どもたちの元に帰って暮らしたいけれど、それはモルの死を受け入れることに等しい。家族みんなで幸せになるという「完成形」とずれているから。

モルの死以後のモルはコブの潜在意識のモルであって「モル=コブ」なのであることを念頭において、モルがコブのミッションを邪魔する理由というのは、ミッションが成功してしまうと自分抜きでコブと子どもたちだけで幸せになることは許されないからなんだよね。ほら、家族みんなで幸せになるという完成形とずれているでしょ。

コブが現実と夢を区別するために必要なのは、妻の死を受け入れることであり、完成形ではない現実を受け入れることである。

映画の最後でコマが回り続けているように見えるせいで、「最後コブが現実に戻れたかどうかが分からない」という人がいるが、あそこはどうでもいいんです。その前のシーンで、モルを抱きながら、彼女の死を受け入れいているじゃないですか。繰り返すが、コブが現実と夢を区別できていないのは、「自分が作り出した奥さんが本物であると思い込んでいること」に尽きる。死んだと受け入れられたら、もう夢と現実は区別できている。もし、まだ夢のままだとしたら、最後のシーンでに奥さんなしで、子どもたちと一緒になるなんてありえないんだよ。