[読書メモ]『平気でうそをつく人たち』

p4
邪悪な人たちを憎むのはやさしいことである。

pp4-5
ある種の人間を邪悪だと決めつけることによって私は、必然的に、きわめて危険な価値判断を行っていることになる。

p110
子供が精神科の診療に連れてこられたときには、その子供は「見なし患者」と呼ばれるのが通例となっている。この「見なし患者」という名称を用いることによってわれわれ精神療法医は、その子が患者と呼ばれるようになったのは、両親やほかの人たちがそういうラベルをはったからであって、治療の必要な人間はほかにいる、ということを言おうとしているのである。

p122
精神療法医が患者にたいしていだく感情は「反対転移」と呼ばれている。この反対転移は、最も強い愛情から最も強烈な憎悪にいたるまで、およそ人間のいだく感情の全領域にわたって生じるものである。

p128
あるものに適切な名称を与えることによってわれわれは、それに対処する際の力を相当程度に得ることができる。

p198
世の中には愛情を持っていない親というものはざらにいるもので、そうした親たちの大半が、すくなくともある程度までは、愛の見せかけを行っているということは、経験を積んだ心理療法家であればだれでも知っていることである。

p251
いうまでもなく、精神療法というものは、きわめて侵入的かつ押しつけがましいものであり、また、施療者は権威を持った人物となるのがつねである。

p294
人生のあらゆる面において失敗とはきわめて教育的なものである。おそらく、われわれは成功よりも失敗から多くを学んでいるはずである。

p295
一般に、自分がなんらかのかたちで自分の能力以下のことしか達成できない、との理由で心理療法を受ける人は多い。

p303
健全な子供は、だれでも、異性の親にたいして性的な愛着をいだくものである。通常、この愛着は四歳から五歳のころにピークに達するもので、エディプス・コンプレックス(エディプス・ディレンマ)と呼ばれている。このエディプス・コンプレックスによって、子供は恐ろしい苦境に立たされる。自分の親にたいする子供のロマンチックな愛は、けっして成就する見込みのない愛である。

p304
その過程で子供は、いいことは二つ同時にできない、つまり、子供として愛されながら、親を性的に所有することはできないということを悟るようになる。そして、子供であることの有利性のほうを選び、これでエディプス・コンプレックスは消え去り、周囲のだれもが安どのため息をつく。とくに子供のほうは、目に見えて以前より幸せになり、気分が落ち着くようになる。精神医学においてエディプス・コンプレックスが重要視される理由のひとつとして、これを解消できないまま大人になった人間は、通常、大人としてうまく適応していくうえで必要とされる欲望の自制や放棄がむずかしくなる、ということがあげられる。いいことを二つ同時にできない、ということを学んでいないからである。

p310
エディプス・コンプレックスの解決は、家を建てるときにまず一階を建てるようなものである。基礎ができあがっていなければ、一階を建てることはできない。

p315
彼女は、これまでにないほどあからさまに私への欲情を語っていたが、それでも私は、彼女の「口説き」のなかに独特の不正直さを感じていた。彼女は、セックスを装って授乳を求めている。大人の性を装って、子供のようにあやしてもらいたがっている。

p364
集団の持つ最大の利点のひとつが専門化である。集団のほうが個人よりはるかに効率よく機能することが多い。

p380
あまり感心しないことではあるが、現実に広く見られる集団ナルシシズムのかたちが、「敵をつくる」こと、すなわち「外集団」にたいして憎しみをいだくことである。これは、初めて集団を組むことを学んだ子供たちにも自然に発生するものである。

p394
われわれの学ぶべきことは、専門化集団をつくるときには、「自分の左手のしていることを右手が知らない」といった状態になる可能性がつねにある、ということである。専門化された集団を完全になくすべきだと言っているわけではない。これでは、たらいの水といっしょに赤ん坊まで流してしまう、つまり、細事にこだわって大事を逸することになる。要するに、専門化グループを編成するときには、それに伴う潜在的危険性を認識し、その危険性を最小限にとどめるようにすべきだということである。

p395
完全徴兵制度__非志願兵制度__こそ、軍隊を健全に保つ唯一の道である。徴兵制なき軍隊は、その機能が専門化するだけでなく、その心理においてもますます専門化するものである。つまり、新鮮な空気を軍に吹きこむことができないからであるこの専門化集団は、近親交配を続け、軍隊独特の価値観を強化し、そして、ふたたび自由に行動することを許されたときには、ベトナムで見られたと同じように殺気だって凶暴化すると考えられる。徴兵制には苦痛が伴うものである。しかし、この苦痛が保険の役割を果たす。軍の「左手」を健全な状態に維持する唯一の道は非志願兵制度である。

p423
これは肝に銘じておくべき重要なことである。なぜなら、今日では、戦争の両当事者が、自分たちは犠牲者だと主張するのが習わしとなっているからである。かつて、人間があまり節度を持っていなかった時代には、公然たる征服欲を動機として、ある種族が他の種族をためらいもなく殺していた。しかし、今日では、戦争の当事者はつねに潔白を装うようになっている。

p473
「裁くなかれ、なんじ自身が裁かれざらんがために」というキリストの言葉は、一般に前後関係を無視して引用されている。

p437
また、判断を下す際にはその目的を忘れてはならない。治療またはいやしを目的として判断を下すのであればけっこうなことである。自分の自尊心やプライドを強化するために判断するのであれば、これは間違いである。「神の加護がなかったならば自分もそうなっていただろう」という内省こそ、他人の悪を判断する際につねに忘れてはならないものである。