[読書メモ]『「絶望の時代」の幸福の恋愛学』

p4
「バニラになる」とは、[…]「冒険を経巡(へめぐ)って最後は普通に戻る」という意味です。

p11
あなたが何か発言したとき、心ある人はあなたが<恨みベース>なのか<希望ベース>なのかを敏感に察知します。

p12
「ナンパ」というと特殊な性愛の形だと思われがちです。でも「ナンパ」とそうでないものの境界線は曖昧で、あなたが誰かに近づこうとする場合に用いる工夫と地続きです。当然そこには「他者と関係を築く」「より善く生きる」という一般的課題が含まれます。

p24
性的に過剰な女子がイタくなった

p24
ミソジニー(女性嫌悪)

p25
ガングロには<男たちの性的視線を拒絶する>機能があります

p27
昔なら学校のマドンナは憧れの「高嶺の花」だったのですが、「パパがいる可能性が一番高い子」といった認識に変わるのですから。

p27
カノジョができるか否かということより、カノジョの得体が知れないことに悩む

p30
インターネット化による<過剰な島宇宙化>

p30
インターネットは<摩擦係数の低いコミュニケーション>を与えます

p33
街金(消費者金融)

p35
オタク領域における<特定の島宇宙に過剰にこだわるのはイタイ>という意識

pp37-38
カウンセリング的に処方箋を提示することが僕の目的なのではなく、<社会への適応が性愛への絶望をもたらす>ような社会を変革することが、目的だからです。

p45
内から沸き上がる力である<内発性>が不可欠です。

p49
他人を幸せにできる者だけが、幸せになれる。

p49
自分を助けてくれる絆は、自分が助けてあげる絆がなくしてあり得ません。

p51
自らが「命がけで助けたい」と思う他者を持たない者は、他者からも「命がけで助けたい」とは思われない。この相互性が大切です。これは損得勘定とは違う。損得勘定からは「助けてもらうには助けなきゃ」という結論ゆえに<自発性>が生じますが、これは、端的に「助けたい」と思う<内発性>とは違います。/<自発性>より<内発性>を!<損得勘定>より<徳(内から湧き上がる力)>を!<理由がある利他性>より<理由のない利他性>を!