[読書メモ]『ユリイカ 2016年12月号』

p72
サバト(魔女集会)

p80
現実の社会に異能の者が紛れ込んでいるエブリデイ・マジックの設定

p83
刊行当時はディズニーのカウンターと目された『ハリー・ポッター』シリーズが、その展開の過程で、ファンタジーの、ひいては子ども文化の商品化の一翼を担うようになっていた側面は否めないが、その是非は勧善懲悪的に判断できるものではない。

p83
『ゲド戦記』にも「真の名」が知られると他者に操られてしまうという設定があったが、名前を呼ぶことのタブーは古今東西に遍く存在する。

p90
ポッターヘッド(ハリポタファンのこと)

p128
「そんなもの読んでどうするんだ?」と言う人には、言わせておけばいい。

p131
ハリーやハーマイオニーの差別との闘いは、人はみな十字架を背負えというイエスの教えと重ね合わせて見ることができる。

p137
もともと『ハリー・ポッター』の魔法能力は、著しい個性を一般社会がどう包容するかという点で発達障害をめぐる問題のメタファーになりえる性格をもっていたが、この新シリーズはこの領域に駒を一歩進めたようだ。

p139
「着替えるから」__原理的には全ての《女性》を排除することが可能な言葉だ。

p199
パラノーマル物とは、その名の通り重畳的な存在を扱ったファンタジー作品をさす。

p200
児童書・YA のブームを追うと、パラノーマル物のあとにくるのは、ディストピア物である。

p205
「子どもだけが楽しむ児童書は良くない児童書である」__という C・S ルイス