[読書メモ][Kindle]『料理人という生き方』

p14
今でこそ料理にフルーツを使うことは一般的になりましたが、ぼくが自分の店でやり始めたことは、まだまだ少数派でした。

p17
フランスで学んだことで一番大きかったと思うのは、人間やろうと努力すればなんとかなる、といういたって単純なことでした。そして、それが自信というものではないかと思います。

p22
もともとぼくは物持ちがあまりいいほうではなくて、飽きるとすぐ人にあげたり、オークションで売ったり、あるいはいつのまにか無くなっていたりするのですが[…]

p22
かたくなな心がほぐれていくようでした。

p24
当時、豚肉は安価な食肉で、高級なフランス料理にはそぐわない、というのが一般的な見解でした。

p36
最初、ぼくは人より高く飛ぶことを目指しました。誰もやらないことに挑戦し続けました。そのことでは当時、絶賛よりむしろ非難のほうが多かったように思います。でも、それがぼくの存在意義だと考えていたからひるみませんでした。

p37
ぼくは大御所なんかじゃなくて、いまでも前衛のつもりです。

p63
ぼくは生ガキはいくらリクエストされても出しませんでした。鮮度の問題ではないからです。予測不可能なリスクを背負ってまで使おうとは思わない。

p63
この国東オイスターにはそんなぼくの固定概念を覆すだけの魅力がありました。とにかく品質管理が徹底している。こまめな細菌の検査を実施して、安全性の高い牡蠣しか出荷しない。

p95
結局、新しいものは外からはやってこないのです。変わるのは自分自身であり、自分自身の意思がそうさせるのです。外的要因に頼ること自体が弱体化していることではないかと思います。大切にすべきものは、すでに自分のなかにあるのです。ただ、すべてを主観で固めてしまってはいけない。いつもこころのどこかに隙間をあけておくこと。その自由な空間にアンテナを一本高く立てて、風の音、花のにおい、人のぬくもり、みたいな小さなものから、時代の変化のような大きなものまでを感じ取り、取り込み、自分自身を刷新し続けること。それが正しい変化のあり方、あるいは生き方なのではないか。

p109
彼は行方不明になっていたのではなくて、日本にいる友人達と連絡をとる余裕もなかったのです。それほどすさまじいほどの勉強量だったのでしょう。

p142
ぼくはそのとき、悟ったのです。実は、手のかからない子供というのは、子供がそうしているんだ、と。

p144
多分、本人は気付いていないだろうけれども、彼女が機嫌のいいときはわかりやすい。よく口笛を吹いているのです。それがずいぶんと上手で楽しそうで、聞いている方も思わず微笑んでしまいます。

p148
初めて会ったとき、彼女は 20 歳でした。35 歳のぼくは、彼女が将来ぼくの奥さんになるなんて夢にも思っていませんでした。

p153
どんな状況にあろうとも、あきらめないで、そのとき自分にできることを精一杯やろう。

p164
自分が3人の子供の父親である、ということ。自分は、体によくない料理は作りたくない。子供にも食べてもらえる料理を作るんだ、と意気込んだのです。

p165
フランス料理は和食や中国料理のように、料理の直接、加糖しません。だからデザートが発達したのです。

p171
フランス料理のコックになったのは偶然というか行き当たりばったりとかいえないようなきっかけだったのですが、とにかくぼくは、ぼくの考えるフランス料理を作り続けてきたのです。