[読書メモ]『人にはどれだけの物が必要か』

p18
少なくとも私は、毎日が楽しくて、世に言うストレスとかコンプレックスなどという、高等な感情や複雑な心理とは全く無縁の、のんきで気楽きわまる人生を送っている。

pp26-27
私は宗教家ではない。まして予言者ではない。それどころか世間一般に言う科学者ですらない。私は極めて平凡な事実を自分の目で観察し、算術的な単純さで自分の体験を積み重ねながら、物を考える一人の常識人にすぎない。だから物がよく見えるのである。利害関係に囚われることなく物事を観察し、偏見と予断を断ち切って考えれば、結論は見えている。それは私たち人類は、一日も早く、目標を変え針路変更をしなければ、これまで積み重ねてきた知識の重みと、解き放たれた欲望の強さに足をとられ、急速に破滅の坂道を転落していく他ないということであう。

p83
いまでも被害者の特定しにくいもの、またある行為とそれが引き起す被害との直接的因果関係が明確に立証されにくいもの、更には被害を多くの人が受けていることが明白であっても、同時に人々がそれを遙かに上まわる利益を享受していると考えられるような種類の産業活動の悪影響は、依然として放置されたままである。

pp103-104
私は生来我儘(わがまま)で、子供の頃から何かを他人に強制されてすることが大嫌いで、自分の好きなことだけを、好きなようにやる生き方を通してきた。しかし人生にはどう足掻(あが)いても、気の向かないことをしなければならないことがある。そんな時私はいろいろ考えをめぐらして、なんとか自分なりの意義づけが出来る理屈を見つけて、あたかもそのことを私が自発的に進んでやるのだという風に、自分を納得させてから、むしろ積極的に立向かうことにしている。/このように、私はあることを外から追い込まれて嫌々するのではなく、自ら進んで選び、喜んでそれに取組んでいるのだという一種の自己催眠を自分にかける癖がある。その結果として嫌なことを一切しないで済む生き方が貫け、毎日を楽しく愉快に過せることになる。

pp104-105
何年か前に、かつてロケット博士として有名だった東大教授(同時)の本を読んでいたところ、船酔いや車酔いにならない秘訣が述べられていた。先生によると、乗り物に酔う人は、外部からの影響に対し、受身の気持で嫌々それに対応するから酔うのだと。むしろ反対に、自分が足を踏んでこの船を揺らしているのだ、車を動かしているのは自分なのだと考える、つまり環境の変化は自分の主体的な意志で起ったもの、自分こそがその原因であり原動力なのだと思うことで、酔わなくなるというものであった。/これを読んだ私は、先生の考え方が余りにも、私が実践している生き方に似ているので嬉しくなった。

p108
糸川博士は、何かのテーマに 10 年打ち込んだら、次の 10 年は別のことに挑戦するという方法で、自分の可能性を次々と拡げる生き方をされている由だが、私もこれまでに何度か、今日からいままでの自分と縁を切って、別の生き方をしようと思い立ち、それを実行してきた。そのお陰で、以前の自分なら全く考えられないような新しいものの見方、生き方を手に入れることが出来た。このような絶えざる自己破壊と自己再生、これが私の理想とする生き方である。

p110
私がゴミ拾いをしたり、壊れた電気器具を一生懸命に直したりしているのを見て、「やっぱり大学の先生はヒマなんですね」と言う人もいる。また学生の中には「よくそんなことをする時間がありますね」と、質問とも驚きともとれることを言う者が多い。/そんな時、私は「神様は(ワタシミタイニ)頭の良い人を作る一方、(キミミタイナ)頭の悪い人も作ったりしてずいぶんと不公平なことをなさるけど、時間についてだけは万人に等しく公平に、1日 24 時間を与えてくださった。決して私だけが他の人より時間を多く持っているわけではないよ」と返事をすることにしている。

p111
私がいろいろと、あまり他の人のやらないことをやっているように見てるのは、さきに述べた嫌なことをしないことに加えて、世間の多くの人が、極(ご)く当たり前にやっていることの殆(ほとん)どすべてをしないからに他ならない。だから一般の人とは違ったことを沢山やる時間があるのである。

p165
いったいどうしてあれだけの大して必要でもない液体[=自動販売機の飲み物]を飲むために、こんなに地球を汚しながらカンを作り、そして、それをポイと捨ててしまうのか。

p176
自分は損をしているという被害者意識ではなくて、恩恵を与える立場にあるんだと、自分を精神的優位に置くことによって、人生はすごく楽になる。

p177
科学はずいぶん進歩したようだけれども、私は社会科学から医学、動物学、植物学など、割合広くやって、この頃ハッキリ分った。人間には人間から遠いものほどよく分る。宇宙、火星、冥王星まで行くような宇宙船とか、日食がピッタリ当るとか、人間から遠いものを扱う学問は、もう信頼出来る。/ところが、学問は人間に近付いてくるほどインチキです。人間自身に関する学問は一番発達していない。哲学、医学の大半は信頼できない。心理学、教育学もデタラメ。学説や「常識」がコロコロ変る。だから、社会科学なんて言うな、と言うのです。

pp181-182
私の考えでは、日本がいま直面している国家としての国際化とは、一言で言えば日本人が、日本を中心として世界秩序をどう積極的に再構築していくかを自ら考えることにつきる。日本が既成の世界秩序にどう加わるのかの問題ではないのだ。このことを日本が世界の主人となり、他の国々を従属させるために階層的な体制を作るのだという世界制覇的な野望と混同しないでほしい。/私がここで言う、日本人が自分を原点として世界を能動的に再編成するということは、前に述べたように日本人が国際社会というものを、あたかも既に日本の外にあるもの、つまり日本にとっての所与と考え、これにどう対処すれば日本の利益になるかという、内向きで受身対応型の発送で捉えるのではなく、日本もいまや世界的な大国となった以上、自分を中心に置いた世界観、世界経綸を持ち、その観点から世界秩序の再編成を積極的、能動的に考えていかなくてはならないということにすぎない。

p193
いまの世界は、メシアニズムに裏打ちされた強烈な自己主張をもち、他者を容赦なく絶えず攻撃し、自分と異なるものを徹底的に避難し排除せずにはおかない、筋金入りの西欧文明が主導権をもっている。

p198
かつてロシアかどこかに「万国の労働者よ団結せよ」などと景気のよいことを叫んだ男がいた。いま私は「万国のエリートよ立ち上がれ、衆愚を導いて人ぶりを正道に戻すため全力をつくせ!!」と叫びたい気持である。/但し私がここで言うエリートとは、学歴、社会的地位そして特に金とは全く関係のない概念である。また利巧な人でも、知識だけ豊富な人でもない。/賢い人、もののよく見える人、そして自分の信ずる所を実行する人のことである。