[読書メモ]『テレビの大罪』
p38
取材を受けていて思うのは、テレビのスタッフというのは本当に勉強していないということです。忙し過ぎるのかどうかわかりませんが、私が本に書いたことを事前に読んで取材してくる人はまずいません。原稿を頼みに来るときに本を読まないで来る編集者はいませんが、テレビでは読んでくるほうが珍しい。2時間あれば読めるのですから、新書1冊ぐらい読んでほしいものですが。
p47
ある時期から、日本では被害者は「神様」になってしまいました。
p67
日本では刑事と民事の棲み分けがきちんとなされていない上に、なんでもかんでも刑事で裁こうとする傾向があります。
p70
医療にはその場その場での判断が付き物で、どの処置が妥当であるかは、いざやってみなければわからないということも少なくない。そうした重大な判断を委ねられるために、医師には高度な専門性と医師国家資格を持つことが要求されています。
p72
医療にも市場原理がはたらくアメリカとは異なり、日本ではいわゆる名医でも免許とりたての医師でも診察料は同じです。
p87
テレビでは出演者のごく特殊な体験が、まるで普遍的な事実であるかのように語られます。
p88
元不良がテレビに出てくることは、子育てについて危険な誤解を与えるという以外にも問題があります。それは、被害者に悪影響を与えるということです。
p90
テレビは元不良の更正を、美談として取り上げたがります。誰にでもわかりやすいストーリーだからです。被害者のメンタルヘルスに対する視点をまったく欠いたまま、加害者を平気で持ち上げる無神経ぶりにはあきれるほかありません。
p106
高校生の考えることのほとんどは。親かテレビの受け売りです。
p113
子どもの教育は親の意識次第だということです。
p126
テレビのキー局はすべて東京にあるので、その放送内容は基本的に東京目線で編集されています。
p130
呼気からアルコールが検知されたらエンジンがかからない車をつくろうという話にはなっても、リミッターを現行の時速 180km から 120km にしようという話は聴きません。
p130
運転中に携帯電話を使用することは、注意力の低下という意味では飲酒運転と同じくらい危ないとされています。実際、漫然運転は 728 件と、死亡事故件数では最大の法令違反です。
p147
諸外国、特にヨーロッパやアメリカでは、自殺者について心理学的剖検というものを行います。自殺者の身内や職場の人などに、体重は減っていなかったか、不眠はなかったか、アルコールを飲み過ぎていなかったか、妄想めいたことを言っていなかったかなどを聞き取り、どんな病気にあてはまるかを検討するというものです。
p152
諸外国と比べると、日本では、精神疾患を公表する人は少数です。いまだに心の病に対する誤解が強く、イメージが悪いためです。
p165
基本的にマスメディアには自殺誘発効果がありますが、もっとも誘発されやすい年代は青少年です。それなのに、「いじめ自殺」に関する報道は自殺報道の中でも特にセンセーショナルで、「これなら自殺しても当たり前」と言わんばかりの論調です。
p166
起きてしまった自殺は詳細に繰り返し報道するものの、自殺しないための方法が紹介されたり、前向きに検討されたりすることはありません。
pp179-180
笑いの殿堂・なんばグランド花月(NGK)に行ってみれば、いつもお年寄りがゲラゲラ笑っています。ではその時に若者たちが笑っていないかと言ったら、同じところでもっと笑っている。つまり、レベルの高い芸であればお年寄りも若者も笑わせられるけど、レベルの低い芸では箸が転んでも笑うような人たちしか喜ばせることはできないということなのです。
p194
敵でなかったら味方、満点でなかったら0点、善人でなかったら悪人、薬でなかったら毒で、その中間はないという発想を「二分割思考」と言います。この世には白か黒しかなく、グレーは存在しないという伝え方はテレビの特徴的な手法です。
p195
精神医学や認知心理学では、二分割思考というのは最悪の考え方とされ、認知療法という心の治療においても、もっとも避けるべきこととされています。
p201
最近、認知科学の分野での重要性が強調されているのが「認知的複雑性」というものです。これは、白と黒の間にはグレーがあり、グレーにも濃いグレーから薄いグレーまで様々あるということを認識することです。/人間にとって、認知的複雑性が身につくということは健全な成長のステップであり、人間的な成熟を意味します。
p205
テレビというのは一般論のふりをして、実はかなりの極論を言っていることが多い。ところが見ている側は一般的な意見として受け止めるから、気付かないうちに単純思考の罠にはまってしまいます。[…]テレビが日本人の知的レベルを落としていることは大問題です。しかし、見る人の心の健康を蝕(むしば)んでいることこそが、テレビの最大の罪なのです。