[読書メモ]『ふしぎなキリスト教』
p20
日本人は、神様はおおぜいいたほうがいい、と考えます。/なぜか。「神様は、人間みたいなものだ」と考えているからです。[…]で、その付き合いの根本は、仲よくすることなんです。おおぜいと仲よくすると、自分の支えになる。ネットワークができる。これは日本人が、社会を生きていく基本です。
p72
ぼくはここに、神とのコミュニケーションとは一種のデイスコミュニケーションである、神とのコミュニケーションはコミュニケーションの不可能性そのものであるという逆説の究極の姿を見たくなります。
p76
蛇はサタン。反対者ですね。
p124
日本人は、自分が矛盾したことを信じていると、気がつかないし、気にしない。
p134
イエスが実在の人物だった、と私が思うのは、福音書がイエスの言葉を多く伝えているからです。それを読むと、比喩が豊富で、生き生きした印象を受ける。ひとりの人間がそこにいるという手応え、ありありとした人格の一貫性を感じる。イエスが実在しないのに、福音書の著者たちがよってたかって創作したと考えるほうが、よっぽど不自然だと思うのです。
p224
神が人間を配慮するやり方は、人間の社会常識を超えている、ということなんです。神と人間の関係を、人間と人間の関係の類推で理解してはいけない、ということがこれらのたとえで共通にのべられている。
p242
近代化というのは、見方によっては地球的。人類的な規模の西洋化みたいなところがあります。
p250
公会議では、意見の対立があるから、それを決着するんです。イスラムのイジュマーは、全員一致でなければ決定できない。もしも、意見の違いがあれば、多数であっても少数であってもそれは人間の意見であって、神のものではないことになる。ゆえに、どちらをとったとしても間違い。多数決はないんです。でも公会議は多数決。多数決ですらない場合もある。
p278
無意識の、態度レベルでの信仰にも目を光らせなければ、キリスト教の「影響」の実態は見えてきません。私はまったく宗教に関心がないよ、教会には行かないよ、と言っていても、無意識のうちにキリスト教的なエートスや行動様式やものの考え方を採用している人はたくさんいますからね。