[読書メモ]『リンボウ先生 イギリスへ帰る』

p26
表から正面からみて、ハハァッと感心するだけではつまらない。その上を見上げ、足元を明み、裏を見物し、壁の構造を観察し、そうして以て歴史に思いを致す、そうあってはじめてイギリスは本当に奥の深い姿を私たちの前に見せてくれるのである。

p48
これはたぶん意図的に変えたのではあるまい。要するにただの「いいかげん」なのである。しかし、その「いいかげん」の向こうに、厨一房で、生身の人間がそれぞれの流儀で、手でパンを焼き、切っている姿が街彿とするのである。

p52
私は、目を三角にしてそのシャワーを睨(にら)み付け、舌打ちを百回もし、フランスとパリを呪詛(じゅそ)しつつ、入浴を諦めて部屋へ戻った。

p80
ランドマークの施設には、必ず「ログ・ブツック(日誌)」と呼ばれる自由帳が備えられていて、そこには宿泊した人々が、その所感を書き記していくことになっている。

p98
日本の銀行員の努力は、私の見るところ専ら「銀行という組織」のためであって、一人一人の個人としての顧客のためではない。

p112
イギリスに行ってイギリスの気候や風景の中で、イギリスの曲がりくねった道を走らせていくのでなければイギリスの車をほんとうに楽しむことは出来ないのである。

p116
元来イギリスの法規ではサイドミラーは運転席側だけが義務であって、助手席側は任意なのであるらしい。

p125
これに比べると、日本のナンバープレートのシステムは「馬鹿」だなぁ、と嘆息せざるを得ない。ま、要するに「先が見えてない」やり方なのだ、あれは。

p128
かつてロンドンでキャッツ氏が、いみじくも「世界で一番分りやすくって、そうして合理的なやりかただ」と胸を張ったごとく、イギリスのナンバープレートの付け方はもっとも合理的で美しい方法であることを私は疑わない。

p130
ある日、スティーヴンのオンボロ、いやヴィンテージ物のモーリス・マイナー・クラブマンに同乗して、郊外の道を走っている時だった。

pp147-148
そういう一人居ることのさびしさを、癒してくれるなによりのことは、私の場合、「買物」なのだった。

p262
日本での公的な仕事はすべて引退して、好きな時に好きなだけ、色恋小説などものし、出来たら「出来たよ―」と日本にファックスする、……と、日本の出版社から、若くてチャーミングな女編集者かなにかが、それを取りに来て、半年に一冊くらいの割合で出版すると、それがまあ生活に困らないていどにはそこそこ売れる。