[読書メモ]『日本の論点 2009』

pp658-659
現代の若者においては、「コミュニカティブであること」が、対人評価において最大の勝ちを持つ。このため、さまざまなマイナス要因が、最終的にコミュニケーションの問題に集約されやすい。加藤の「不細工」という言葉は、その端的な表現だ。それは顔の美醜を表す以上に、学歴のなさ、貧しさ、孤独といった、あらゆる不幸の要因を凝縮させた言葉だった。/ひとたび「コミュニケーション弱者」という自覚を持って(持たされて)しまうと、そこから抜け出すことは著しく困難になる。なぜならそこでは「弱者であること」が、必ずしも被害者意識につながらず、むしろ「自分はいるだけで他人に迷惑をかける存在」といった形の「加害者意識」のほうに傾くからだ。精神症状の一つである「醜形恐怖」は、まさにそうした葛藤構造を持っている。「自分はコミュニケーション弱者である」という自覚は、「そのような弱者は迷惑な存在であるから人に関わらないほうがいい」という加害者意識につながり、その結果対人経験は乏しいままとなって、ますます弱者化が助長される。だからこそ彼らの未来の「変化」や「成長」に希望を託すことができない。