[読書メモ]『モラル・ハラスメント』

p13
著者は精神的な暴力は肉体的な暴力と同じくらい、あるいはそれ以上に恐ろしいものだと考え、社会はもっとこういった暴力に厳しい態度で臨まなければならないと言明する。

p13
「解雇」を「リストラ」と言いかえて、企業が胸をはって人員整理ができるなら、解雇される側のサラリーマンは「そのやり方はモラル・ハラスメントだ」と言って対抗できるのではないか? そうではなくても、加害者から精神的な暴力をふるわれて苦しんでいる人々が「これはモラル・ハラスメントだ」と思うことでどれほど救われるだろう?(これは本書のなかでもたびたび強調されている)。

p13
言葉は同時にひとり歩きするものでもある。

p17
《言葉をうまく使えば、自分の手は汚さずに相手を辱めたり、殺したりすることができる。人生の最大の喜びは、他人を辱めることである》
ピエール・デスプロージュ

p17
モラル・ハラスメント(精神的な暴力)

p27
私がこの本のなかで目指しているのは、モラル・ハラスメントの加害者を裁判にかけて糾弾することではない__もっとも、仮にそういったことをしても、加害者は容易に自分を正当化してしまうだろう。私の目的は加害者の罪を問うことではない。そうではなく、ほかの人間にとって加害者がどれほど危険な存在であるかを知らせることによって、現在や未来の被害者が身を守れるようにすることである。

p78
虐待が教育の名のもとに行なわれることが多いからだ。アリス・ミラーは、《これは邪悪な教育だ》と言って、親の言うことをきかせるために子供の意志を破壊してしまう伝統的な教育法を告発している。

p88
教育の名を借りているだけに、このタイプの暴力がふるわれていることはなかなか気づかれない。

p103
取るに足らないことから始まり、誰もが気がつかないうちに広がっていく。この攻撃を受けた人間は、最初のうちはそれほどたいしたことだと思わず(あるいは、思おうとせず)、ちょっとした皮肉や嫌がらせくらいにしか考えない。だが、そのうちに攻撃は激しくなり、被害者はだんだん追いつめられていく。そうなったら、あとは弱い立場にたたされ、今度はあからさまな敵意を受けて、それから長い間、さまざまな暴力に苦しむことになる。/もちろん、モラル・ハラスメントの攻撃を受けたことによって、被害者は直接、死ぬわけではない。だが、自分自身の一部を失うのだ。

p107
モラル・ハラスメント の過程は相手を非難することから始まる。〈性格が悪い〉、〈頭がおかしい〉、と言って非難し、対立の責任をすべて相手に押しつける。相手が本当にそうかどうかはおかまいなしだ。

p122
社内で仲間はずれにされることは過労よりも大きなストレスを引き起こし、かなり短い間に被害者の心をぼろぼろにする。それをよく知っているので、企業はよくこの方法を解雇したい人間に使うのである。

p136
経営者のなかには従業員を子供のように扱う人たちがいる。また、もっとひどい場合には、人間ではなく〈モノ〉のように思っている人たちもいる。

p155
モラル・ハラスメントは必要悪だなどと言って、それがあたりまえだと思われるような社会にしてはならない。職場におけるモラル・ハラスメントは経済危機のせいで起こったのではない。他人を尊重しない行為を見てみぬふりをする企業の放任主義のせいで起こったのだ。

p180
被害者のほうはそこに悪意を感じるもの、冗談の口調で言われるので、本当に悪意があるのかどうかは確信が持てない。

p181
そこまで直接的な表現ではなく、攻撃がほのめかしや当てこすりの形を取る場合も多い。その場合、被害者のほうはそれが攻撃であるかどうかもわからないまま__つまり、相手が悪意で言っているのかどうかわからないまま、気分がとげとげしてくる。

p184
何かを言っておきながら、すぐに取り消す。取り消してもその言葉が言われたという事実は残るから、聞いているほうの心には疑いが芽生える。

p189
加害者の取る方法は例によって間接的なので、被害者のほうはそれが攻撃だとはっきり思うことができず、したがって身を守ることができない。そのうちに、言葉はもっと直接的な形をとってくるようになる。

p189
被害者は直接、間接に言われた〈おまえは駄目だ〉というメッセージを自分のなかに取りこみ、そして、本当に駄目になってしまう。だが、被害者がもとから駄目な人間であったわけではない。加害者が〈駄目だ〉と決めつけたから、駄目になってしまったのだ。

p229
被害者は__それが被害者の被害者たる所以であるが__自分では犯してもいない罪の代償を支払わされる。

p232
実際、加害者はいつも言葉(あるいは言葉にならない態度)を使って、被害者の主体性を否認する。

p243
加害者のほうは被害者のどの点をつけば罪悪感を持たせることができるのか、その点を捜している。

p258
被害者が憎しみを見せれば、加害者は喜ぶことになる。それによって、加害者は自分の行為を正当化できることになるからだ。「こちらが相手を憎んでいるんじゃない。相手がこちらを憎んでいるのだ!」

p272
家族においても、企業においても、モラル・ハラスメントの被害者が相手に復讐しようと考えることはめったにない。被害者たちは完全に償いを受けるのは無理にしても、自分たちが耐えしのんだということを認めてもらいたいのだ。

p273
加害者とまったく同じ武器を使うことは勧められない。たったひとつの方法は、相手と別れることである。夫婦の場合であれば、法律に頼ってでも離婚をしたほうがいい。

p276
どんな状況にあろうと、たったひとりでも被害者を支持してくれる人間がいれば、被害者は自信を取り戻すものなのだ。

p281
挑発や攻撃だと感じたものは書きとめておくことが大切である。

p316
西洋の社会では個人の自由を尊重するという理由から、〈モラル・ハラスメント的な行為〉を禁じることをあきらめてきた。だが、被害者がそうであったように、こういった行為を受け入れすぎたことによって、いまや社会そのものが〈モラル・ハラスメント的な機能〉を持つようになってきている。

p325
かくて彼は自殺する。しかも彼の自殺には遺書もない。つまり自殺の理由も書いてなければ、いじめた人の名前も書いてはいないのである。これは彼がいかに自立心に富んでいたかということを示している。