[読書メモ]『小説の森散策』

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イタリアでは、上映の開始までに映画館に入ることを強制されることがありませんから、好きなときに入っていつでもまた最初から見ることができます。それをよい慣習だとわたしが考えるのは、映画館は人生のようなものだと思うからです。わたしが人生に入場したとき、すでに両親は生まれており、ホメロスは『オデュッセイア』を書いていました。それからわたしは『シルヴィー』でやったのと同じように、筋(プロット)を(結末から)逆方向に再構成しようと試みて、なんとか自分の入場以前の世界で何があったのかを知ったわけです。これが映画の正しい見方のように思えるのです。

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だれがやったのか?Whodunnit?