[読書]『そして、僕は OED を読んだ』
『オックスフォード英語辞典』( OED )を読んだ人の話。久しぶりに読んだエキサイティングな本だった!
p97
ある時から僕は地下閲覧室の主のような存在になっていた。はじめのころは、「ちょっと小さい声で話していただけませんか」とお願いしていたけれど、最近では、おしゃべりが数分続くようであれば、「静かにしてください!」とはっきり注意してしまうようになった。
p117
なんだか、毎日アルファベットを食べている感じがする。二六文字それぞれに、それぞれの味わいがある。当然、おいしいと感じる文字もあれば、そうでないものもある。繊細な風味を醸し出すものもあれば、心のこもったとろとろの田舎シチューのようなものもある。おえっとくる味のものもある。I という文字はケッパーでいっぱいの料理のようだ。ちなみに、僕はケッパーが大嫌いだ。
pp129-130
本は誰の邪魔をすることもなく、独りで楽しむことができる。
p132
ブランドものの服を買ったり、高級レストランで食事をしたりする気は全然起こらない。でも、本だけは、どんなに生活費に困っていようとも買いたいものは買うようにしてきた。「ひょっとしたら将来読みたくなるかも」とか、「少し気になるところがある」と思うだけでも、その本を買ってしまう。
p208
偉大な書物を読む喜びの一つは、本を読んでいる間、現実世界が遠くに行ってしまうことにあるんだ。だから、わざわざ現実世界に本を持ち込む必要なんてない。違うんだ。本を通して、別の世界が自分のところにやってくるんだ。
p233
Safety-firster(名詞)危険を冒そうとしない人
p256
容赦ないほどの退屈さの中に監禁されながらも面白い単語にめぐり合った瞬間には、逆に、辞書を読むことの本当の魅力を再認識させられる。その瞬間が訪れると、これまでの苦労が一気に報われ、自分は単に退屈な趣味をもつ男というわけではないという実感を抱くことができるのである。
p275
もちろん、OED を一セット購入するのもよい! テレビくらいのスペースですむし、テレビに比べて無限に役立つ感じがする。
p278
人は、自分を何かの権威だと思いたがり、一言、言いたがるものだ。
p285
そして、どんなに大きな本であっても読み続けてさえいれば、やがて読み終わることを学んだ。
p285
僕はよく、「読書しかしなかったらどうなるのか」と考えた。そして、「ずっと本を読み続けると、途中でその魅力が失われ、やがて僕の夢は平凡な日常に汚されてしまうのかな」なんて想像した。でも、決してそんなことはなかった。
p291
読み進めれば読み進めるほど、ある思いがいっそうはっきりとしたかたちで頭に浮かぶようになった。/もう一度、OED を読みたい。
p292
寝ている間もずっと単語のことを考えてしまい、起きたら OED を読めると思うと興奮して目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまうのだ。
p293
僕は、もう一度 OED を読み始めることに決めた。A からもう一度読み直そう。でも、今度は、締め切りを決めずに読みたいと思っている。もし途中で興味があることや気になることがあれば、好きなだけそこで立ち止まり、好きなだけ調べたり考えたりすることにしよう。
p294
OED を完読して初めて、いったいどうしてこのような試みに挑戦しようとしたのかがわかったような気がする。[…] OED は、僕が今まで読んだ中で最高の物語だったのである。
—以下、訳者あとがき—
p298
OED と聞くと、やはりイギリスが思い浮かぶ。OED は、イギリス文明の途轍もない強大さを示す書物の一つなのだ。
p299
Reading the OED を読み終えたあと、妙に懐かしい気分になった。そして、「この本って、英文科とか英語学科で昔勉強した人ならみんな面白いって言うだろうな」と思った。
p303
本書の中で貫かれているアモン・シェイさんのスピリット、「知らなかったことを知ることを純粋に楽しむ」、そして、「『こんなことを表現するこんな言葉があったのか』と、驚きながら一つ一つ考え、覚えていく」という精神は、言葉を学習することのまさに揺るぎない原点なのではないだろうか。