[読書メモ]『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』

p13
モーニング・ページの実践者が節酒、子ども時代のトラウマ、肥満といった困難な問題に立ち向かうのは珍しいことではない。モーニング・ページは悪魔に立ち向かう誠実さを高めてくれるのだ。

p17
このコースをやり終えるのに、どんな神の概念も必要がないことを、ここではっきり断っておきたい。それどころか、神の概念の多くは邪魔になる。/本書で神という言葉が使われる場合、「人生に秩序をもたらす整然とした流れ」という考えと置き換えてもらってもよい。

p47
モーニング・ページには誤った書き方などないので、検閲官がなんと言おうと、的外れである。

p53
真剣にモーニング・ページを書いている人は誰でも、自分の内部の知恵の源とつながるようになる。モーニング・ページは私たちを絶望から救い出し、思ってもみなかった解決へと導く。自分でどうしていいかわからないつらい状況や問題に出くわし、行き詰まったとき、私はモーニング・ページに向かい、導きを求める。

p53
誰でも神さまと直通の電話番号をもっていると告げるべきね。交換手を通す必要なんかないのよ。

p62
魔法は喜びや楽しみをもたらす活動の中に潜んでおり、義務的にこなす活動の中にはない。だから、できるだけ自分にとって興味のあることや、関心を抱けるものを探求してもらいたい。そして、うまくやろうとせず、神秘を大切にしてほしい。/義務は私たちを無感覚にさせ、興味を失わせるが、神秘は私たちを引きつけ、導いてくれる。創造の井戸を満たすときは、神秘的な感覚を大切にしてもらいたい。

p64
シャワー、スイミング、体をごしごしこすって洗うこと、ひげ剃り、車の運転・・・すべては論理脳からより創造的なアーティスト脳へと移行させてくれる、規則的で反復的な活動である。皿洗いの最中や、車線変更をしているときに、思いがけない創作のヒントが浮かんできたりするのはそのためだ。

p66
充分な睡眠をとり、体を動かし、食事に気を配り、自分の欲求を満たしてやることを誓います。

p74
影のアーティストが影から日なたに出てくるには、自分自身の熱い思いを正面から受け止める必要がある。あせらず着実に努力することで、自分の中の幼いアーティストを、養い育てなければならない。

p80
否定的な思い込みはまさに思い込みであり、事実ではない。

p80
親や教師によって植えつけられたまま、ずっと放っておかれた否定的な思い込みは、強力な障害の土台になる可能性がある。したがって、それらを打ち消す肯定的な信念を、自分の中に培う必要がある。

p81
才能をせき止められているほとんどのアーティストは、自分でも気づかずに「二つに一つ」の思考法にはまっている。

p83
一歩を踏み出すには、自分を肯定することからはじめなければならない。自分を批判する十分の一でも自分を肯定できるようになれば、大きな変化が起こるだろう。

p84
「私は愛されるに値する」「私は高額のギャラをとって当然だ」「私は報いのある創造的な人生を送るに値する」「私は才能ある成功したアーティストである」「私は創造的な才能に恵まれている」「私は有能であり、自分の作品に自信をもっている」[…]肯定的な言葉を選び、自分に言ってみよう。

p85
潜在意識から浮かびあがってくる否定的な言葉を書き出したら、次に、ちょっとした探偵ごっこをしてほしい。その否定的な言葉はどこから来たのだろう? 母親? 父親? それとも先生? ありえそうな源をすべて探ってみてもらいたい。/出どころを突き止める一つの効果的な方法は、タイム・トラベルをすることだろう。まず、これまでの人生を五年ごとの単位で区切り、それぞれの時期に自分に大きな影響を及ぼした人物の名前をあげていく。

p88
あなた自身の否定的な声に耳を傾けてみよう。創造性を回復するために、これはきわめて重要である。あなたをがんじがらめにしてきた一つひとつの思い込みを解体しなければならない。

p92
あなたの創造性を認めてくれた三人のチャンピオンを列挙する。これは、あなたが創造的であることを願ったチャンピオンの殿堂である。できるだけ具体的なほうがよい。誰かに言われて励ましになった言葉をすべて思い出してもらいたい。たとえ、あなたがお世辞を信じなくても、それを書きとめてほしい。ひょっとしたらそれは、本心から出たものかもしれない。

pp92-93
それを読むと幸せな気分になれる励ましの言葉を一つ選び、書き出してみよう。それを言ってくれた相手に、お礼の手紙やメールを書こう。

p93
自分を肯定する言葉を書き出す作業をしていると、古い心の傷や、怪物が蘇ってくることがある。もし蘇ってきたら、それらをリストに加えよう。そして、否定的な声の一つひとつを肯定的な言葉に変えていこう。

pp118-119
心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。今、この瞬間、誰でもみなつねに大丈夫なのだ。

p123
人生のパイ作り。円を描き、六つに分ける。それぞれに霊性、運動、遊び、仕事、友人、恋愛&冒険というラベルを貼る。次に、六つの人生の領域で自分がどれだけ満たされているかをグラフにする(最大の満足は円の縁、中心に向かうほど満足度は低くなる)。それらの点を結べば、あなたがどんなことで満足し、どんなことで満足していないかが一目瞭然となる。

p124
人生のパイの中で貧困化している領域にほんのちょっと注意を向けるだけで、人生を豊かにできるかもしれないということ。

p124
現在への注意力を高めるにつれ、浴室を塗り替えるといったささいな変化が、自分を大切にしているという感覚を生み出す場合がある。

p127
怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。創造性を回復しはじめている人にとって、怒りは健全な兆候なのだ。

p128
怒りは古い人生の終わりを告げる旋風であり、新しい人生へと駆り立てる燃料だ。怒りは支配者ではなく、適切に活用すれば役に立つ道具となる。怒りは触れられることを求めており、近づいてもらいたがっているのだ。/怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。それは、私たちが裏切られたときや自分自身を裏切ったとき、かならず知らせてくれる。そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。/怒り自体は行動ではない。行動への招待である。

p130
人は、神がいないことよりも、いることのほうをはるかに恐れている、というのが私の感想だ。このような出来事が自分の身に起きても、多くの人は単なる偶然としてそれらを葬り去る。/私たちは、かなえられた祈りを偶然や幸運と呼び、自分の本当の夢や魂にかかわる出来事とみなそうとしない。しかし、どんなに控えめな人生でも、魂にかかわる瞬間があるのだ。

p136
羞恥心は行動を左右する装置だ。私たちは「恥ずかしいから」、他人が驚くような行動は慎もうとする。

p140
私たちはしばしば誤って、創造することを恥ずかしいことだと思い込む。その思いはやがて、創造すること自体が間違っているという考えに行き着く。/いったん、そうした思考回路ができあがると、それが無意識の中で生きつづけ、のちに、作品を作ろうとする行為そのものが恥ずかしいという観念をもつようになる。

pp140-141
ここで一つはっきりさせておきたい。かならずしもすべての批評が、羞恥を生み出すとはかぎらないということである。実際、どんなに厳しい批評でも、正確に要点をついているなら作者は納得することもある。とくに、それが新しい作品作りのヒントになる場合はなおさらだ。害になる批評とは、けなしたり、非難したり、ばかにしたりするだけに終始するものだ。それは誤って作品をとらえている場合が多く、漠然としているため、反論しづらい。

p145
だが、私は行かないより行ったほうがよいことを知っていた。長年の経験で、現場に姿を見せたほうがいいと学んでいたのだ。

pp146-147
もしあなたが本当につまらない作品を作ったとしても、それが次の作品に役立つ踏み石になるかもしれないと覚えておこう。創造性の発達は、早く進むときもあれば、停滞するときもある。

p147
創造することこそ、批評に対する唯一の治療法なのだ。

p157
「大丈夫」なフリをやめる

p168
私たちは、他人が自分をどう見ているかを受け入れるよう条件づけられているので、この新しく出現する自分は、わがままだと感じられるかもしれない。しかし決してそうではない。

p183
自分をみじめだと思う理由の一つは、「不足している」という考えからくる。

p189
緩やかな探求心をもちつづけることによって、創造性を広げることができる。「できっこない」と言う代わりに「もしかしたら」と口にすると、神秘や魔法の扉が開くのだ。

p193
このように、創造性を回復する道の途上にいる多くの人たちは、善人を演じることによって自分自身を妨害するケースがひじょうに多い。だが、作り物の美徳には法外な代償が伴う。/ほとんどの人は、自分のやりたいことを断念することで、いい人間であろうとする。

p220
私たちは大事に思っていないものにお金を無駄に使い、それを認めようとしない。

p233
ふつう「自分にはできない」と言うとき、私たちはじつは、「完璧にできるという保証がないかぎり、やりたくない」と言っているのである。

p248
この、私的な性格の強い漠然とした批評は、もみ消されたセクシャル・ハラスメントに似ている。心にグサリと突き刺さってくるのに、反論のしようがないのだ。

pp250-251
彼らは創造性を伸ばすもっとも基本的な栄養素である「励まし」を与えるのを怠っていたのだ。

p257
「自分のしているごまかしに愚痴をこぼすのをやめ、自分が本当に求めているものに手を伸ばしなさい」。

p266
プロセスに焦点を当てると、私たちのクリエイティブな生活はワクワクした感覚に満たされるが、生み出されたものだけに焦点を当てると、いつも結果を気にして、落ち込むことが多くなる。

p269
ほとんどの場合、「手順を踏む」ためにすべきことは、ほんのささいなことである。絵筆を洗う、画材店で粘土を買う、演技指導クラスの広告が載っていないかどうか地方紙をチェックする……。私の経験では、あなたの創造性を伸ばすためにとれる行動が、毎日、かならず一つはある。そうした日々のささやかな行動が手順を踏むことになるのだ。

p296
自分の限界を認めれば、自然と、手は差し伸べられるものだ。ひとりでなんでもやろうとしたがるのは、エゴのしわざと決まっている。

p310
自分のためにならないものは、自分がいちばんよく知っているはずだ。食べ物は逃げの手段になっていないだろうか?仕事にかまけて自分を見失っていないだろうか? セックスや恋愛にのめり込んで、自分の本当にやりたいことをおろそかにしていないだろうか?

pp311-312
過食、働きすぎ、過剰なアルコールやセックス、その他のドラッグ、いかなる手段であれ、それらを用いて創造的な自分を妨害していることに気づくと、自分が何におびえているのかわかってくる。そうなると、逃げの手段は効果を発揮しなくなり、私たちは長い時間をかけて、最初はゆっくりとではあるが、不安を乗り越え、前に進みはじめる。そのとき、不安は創造的な行為に打ち込むための燃料に変わる。

p316
仕事に逃げ込むことと、大切な目標に向かって一心不乱に努力することの間には、大きな違いがある。その違いは、費やされる時間の長さで決まるのではない。仕事をしている間の気持ちの充実感によって決まるのだ。

p317
漠然とした万人向けの解決策より、自分なりの具体的な行動の指針を立てたほうが、はるかに早い回復が見込まれる。

p317
「最低、私は○○○だけはしない」。それがあなたの境界線だ[。]

pp319-320
創造的なことをしているすべてにとって、モーニング・ページは生命線である。それは私たちの探求の道であり、自分自身に立ち戻る道なのだ。

p321
書くことは物事を整理することである。遅かれ早かれ (期待より遅いのが普通だが)、モーニング・ページは物事を整理してくれるだろう。

pp341-342
成功したアーティストにとって重要なのは、未来を抵当に入れないことである。大金が得られるから、二年間、あまり気乗りがしない仕事をするのは、かなり高い買い物だと肝に銘じておくべきだろう。

p366
しかし、そのいずれよりもっとタチが悪いのは、あなたの身近な人や信頼している人が「あなたのため」と称して投げかける「本当によくよく考えて決めたことなの?」という問いである。

p367
要は、彼らに、そんなことをさせないことたそのためには沈黙を守り、手の内を明かさないようにしなければならない。魔法の第一ルールは、「口を滑らせないこと」。自分の望みを胸の内にしまっておき、大切に育てることが必要なのだ。そのようにしてはじめて、自分の望みをかなえることができる。/自分の道をふさぐ障害から逃れたければ、自分の意見を軽々しく明かさず、疑り深い人たちの間では沈黙を守り、自分を理解してくれる人を正確に見抜き、その人たちだけに自分の考えを述べる術を学ばなければならない。/そのために、リストを作ってみたらどうだろう。自分を応援してくれる友人のリストと、自分の足を引っ張ろうとする友人のリストである。後者の友人たちを「濡れた毛布」と名づけよう。

p388
外部の導きではなく、絶えず自分自身の内部の導きを探すことが大切です。

p390
アーティスト・ウェイは本書の指示に従って用いられるよう組み立てられています。疑問にかられたときには必ず本書に戻ってください。

p392
ずっとやりたかったことをやる成長の道は決してまっすぐではなく、螺旋状に登っていくプロセスだからである。

【誤植】
p141
誤:いつたん
正:いったん