[読書メモ]『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

p40
上手な文章を書く人はいるが、このように物語調で引き込む文章構成を操れる人はそうはいないものだ。とても素人とは思えず、手練(てだ)れの技に見える。

p53
日本の軍隊が受験エリートによる学歴重視組織だった[…]受験競争を勝ち抜いた秀才だった軍の首脳たちは一般国民の能力を信用しておらず、あくまで少数精鋭にこだわった。

p63
吉川技師の考えはいつも先駆的なので、現場の捜査官はなかなか付いてこれない。プロファイリングそのものよりも、捜査官を説得させることが彼の仕事のようになっていた。

p90
日本では戦前から殺人事件の検挙率が現在と同じ 95 パーセント前後と極めて高く、必然的に連続殺人事件は多くなく、諸外国では殺人事件の検挙率は比較的に低く連続殺人事件が多いという単純な図式が成立している。

p118
検察は行政部であって司法部ではないのである。

p181
膨大な資料を整理し後世に残す[…]データベース構築癖

p182
コンピューターとウェブの発達で大規模データ解析が最も重要となった現代、データの収集と検索、その閲覧性にまで気を配った情報システム構築の先駆者としても、改めて吉川澄一の業績は注目しておくべきだろう。

p194
ちょっと変な言い方ですが、犯人が自供するから、捜査が科学的にならないのですよ。犯人がみんなオシで、被害者や参考人がみんなメクラだったら、反証で固めてゆくより方法がないでしょう。

p204
遠く時代を隔てたものだと思っていた事件が、じつは現代と地続きだったことに気づかされて改めて戦慄を覚えざるを得なかった。

p295
私は昔から修身のような押しつけ主義には反対しておる。

p320
迷惑メール振り分けでさえ、間違えたときはユーザーが正しいメールボックスに入れ替えることにより、単語や差出人の特徴など新たなる情報をメールソフトに構築させ、判定基準を調整し、徐々に正確な判定へと近づけるようになっている。それは小数点以下にゼロがいくつも並ぶ極めてわずかな、しかし完全を目指す着実なる前進で、ここに最初から数値が定まっている通常の確率論とは違う<ベイズ確率>の意義がある。

p332
芝居染みた自己演出

p340
心酔して学問に開眼したという。

p349
チューリングは<ベイズ確率>の存在を知らず、この天才は独自に画期的な統計法を一から編み出したのである。

p350
あたらなる情報がつけくわえられるたびに更新されて徐々に完成に近づく<ベイズ確率>

p418
この時代は右折用矢印表示が出る信号が普及してなかったため、車両が多い交差点では警官が中央に立って交通整理をするのが普通だった。

p425
生物の究極的な目的は自己保存とその延長である子孫繁栄のはずだが、自然界ではそれに反する生物の行動が頻繁に見られる。[…]自己保存と子孫繁栄に反する行動は、<種の保存>のためだと従来は説明されていたが、現在では完全に否定されるようになった。代わりに打ち出された理論が<血縁淘汰>である。

p427
人間は言葉や文化を持つので、単純な<互恵的利他主義>より遙かに複雑なメカニズムである<間接互恵性>が働いていると考えられている。自分の評判を高めたりすることで巡り巡って恩恵が返ってくるのである。

p459
何故か根拠なく、自分は人の嘘が見抜けるという<自己欺瞞>に掛る者が多くいることが、心理実験によって判明している。

p460
<自己欺瞞>によって根拠なく自分だけは大丈夫と思い込んでリスクを取る人がいてこそ世の中は進歩するので、<自己欺瞞>は悪いことばかりではない。だが、<自己欺瞞>に陥った本人ひとりや、彼の経営するひとつの企業だけがリスクを被るなら問題ないのだが、国家や社会など広範囲に影響が及ぶ分野ではリスクが多き過ぎるので絶対に避けなければならない。

p466
アダム・スミスは『道徳感情論』で、我々は苦痛そのものに<共感>することはほとんどなく、その人の抱く恐怖に<共感>するのだと、なかなかおもしろいことを云っている。[…]我々は恐怖心を持つことによって一瞬早く危険から逃れることができるようになったが、他者の恐怖心まで取り込む<共感>という錯誤によって、さらにもう一歩早く危険から逃れることができるようになったのである。云わば、生存率を高めるための予知能力とテレパシーであり、両者とも備えていない<サイコパス>にとっては、どうしても手に入れたい、まさしく超能力なのだ。

p481
現代は情報が洪水のようにあふれていると云われるが、じつは同じ情報がぐるぐる循環しているだけで、極めて乏しい言説しかないのである。[…]情報の蓄積こそが文明の基礎であるはずなのだが、まったく実行されていないのである。

p486
修験者が激しい修行や断食、あるいはドラッグで肉体や精神を追い込んでまともな思考能力を失わせることによって<因果>を断ち切り<悟り>を開くとしたら、<三人寄れば文殊の知恵>というのは、知恵が三倍で賢者になるのではなく、個々人の<因果>や<物語>を三分の一ずつに分断し、筋の通った思考ができない阿呆にすることによって<認知バイアス>を克服、正しい道に進むことを促すのかもしれないのである。同じ考えの者が何人寄ってもこんなことは起きないので、多角的な意見が必要になるわけだ。

p521
国会図書館などの新聞資料は欠けている部分が多く、早急に補完しなければ永遠に失われてしまうことになります。いまが完全な歴史資料を後世に残すぎりぎりの時期なのです。/個人の直筆資料などならともかく、新聞という最も基本的な文献さえ後の世に残せないとしたら、我々は後世の人々に顔向けできません。[…]過去の情報を蓄積していくのが文明の基礎であり、その一翼(いちよく)を担ってこそ初めて文明社会の一員であると云えますが、せめて、後世の人々の邪魔だけはしないように、最低限の責務は果たさなくてはならないのです。

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誤植も少し見つけた。

p447
誤:人間は人にでも因果関係を見出だし、因果さえ正しければ、正しいと思い込む。
正:人間は人にでも因果関係を見出し、因果さえ正しければ、正しいと思い込む。

p481
誤:一面的なものであることを示したは、
正:一面的なものであることを示したが、