[読書メモ]『カトリック入門』

pp11-12
たしかに宗教への入信は、パウル・ティリッヒの言葉を借りると各人の「究極的関心」(ultimate concern)に関わることで、心の最も奥深いところで行われるべき選択であり、何よりパーソナルな事柄であるに違いない。

p54
啓示とは「教える」神の言であり、信仰は「学ぶ」者である人間が神の言に耳を傾けることである。

p168
現実にある人間(一人にせよ複数にせよ)が人間の言葉で書き記した書物の真正の著者は神である、との主張はどのように根拠づけられるのか。

p223
「聖なる読書」(lectio divina)、すなわち読むことがそのまま祈りであるような仕方で聖書を読んでいた

p268-269
教会が信ずべき事柄として教え、伝える信仰箇条のなかに「教会」が含まれていること、つまり信じなさいと教えている教会がそれ自体信仰の対象であることを奇妙に感じる者がいるかもしれない。カトリックの教会信仰は循環論法であると現実に非難されてきたのである。