[読書メモ]『なぎさホテル』

p47
己の夢に邁進するのは、若者の常である。

p64
「僕もへそくりというものをするんだよ。これが案外とスリルがあってね」

p83
かと言ってすべての東京人が嫌いだったわけではなかった。何人かの人たちに、私は自分にはない品の良さやシャイなものを見つけ、田舎者とは違う酒落た感覚に感心した。

p85
ただ私は文章を書くことが嫌いではなかった。短気で自分勝手な性格は人と話していて、必要以上に興奮してしまい、諍いになることが子供の時から多かった。そこで母親は私に日記を書くようにすすめた。長続きはしなかったが、文章を書きながら自分の感情を整理する癖が少し身に付いていたのかもしれない。

p87
ひとつわかったことは、私が好む現代小説は、物語の中に作家自身が書かれているということと、作家が見たものを丁寧に描写しているということだった。それまで私が考えていた小説の概念とは違うものだった。

p116
私は何から何まで見守られていたのだ、とただ嬉しがってだけいた己の迂闊さを恥じた。

p118
どのホテルでもそうだが、常連客はどこか我儘(わがまま)になるし、特権意識を持つ人が多い。

p136
一冊の、一行の言葉が、人間に何かを与え、時によっては、その人を救済することがあると信じている。

p145
人の話の輪に入らずぽつんと何か考え事をしているような横顔に独特の寂しさがあった。

p151
将来、私が何かの仕事をすると期待してくれて、遠くから応援の声が届くことがあった。

p172
酒落っ気のないというか、スマートでないことを言わせて貰えば、作品を他者に委ねる行為には、そこに恥を晒すということが自ずと出る。さらに言えば傲慢なものがどこかになければ、とてもじゃないが文学というあやふやなものに確信を持ったり、ましてや己の作品なぞに平気でいられるはずはない。

p173
他に何ができるのか、という問いになり、やがてなぜ書くのか、という厄介な処へ行った。そこからがどうにもややこしいのだが、小説を書く上では、この類いの問いを解く必要はさらさらない。小説を何かたいそうなものと考えている輩が問答をくり返せばいい。よしんば解こうとしても、それは論では解けない。感覚、感性でもない。ともかく日々文章を書き続ける行為の中でしか、問いを解く扉の周辺に近づけないのではなかろうかという気がする。