[読書メモ][Kindle]『ゼロ世代の想像力』

Loc 149
社会的自己実現への信頼低下=「がんばっても、意味がない世の中」という世界観の浸透は、教養小説的な成長物語や、社会変革を描く物語を後退させ、かわりに自己像――「ほんとうの自分」や「過去の精神的外傷」――の承認を求める内面的な物語を作家と消費者たちに選ばせたのだ。

Loc 1311
「主人公が武道大会やスポーツ大会に出場して、それを勝ち進むことで成長する、というドラマツルギー」=「トーナメントバトル・システム」が支配的だった。

Loc 2219
自分にその気持ちさえあれば、等身大の日常の中からいくらでも「物語」を引き出せる

Loc 2995
社会の流動性が上昇し、非正規雇用が「普通」のことになった現在、生業とは基本的に「入れ替え可能」なものであり、社会的分業に誇りを見出し、生きる意味とすることができる人間は基本的にごく少数に限られる。

Loc 3537
ゼロ年代も終わりに近づいた現在、「成熟」とはコミュニケーション、他者と手を取り合う能力であるとする想像力が生まれている。自分とは異なる物語を生き、異なる超越性を信じる他者と関係を結ぶことこそが、現代における「変身」であり、「成熟」なのだ。/かつて「変身」とはエゴの強化だった。だが現在において「変身」とはコミュニケーション――自分とは違う、誰かに手を伸ばすことである。

Loc 3580
私はゼロ年代を「郊外化」に象徴される「モノはあっても物語のない世の中」と表現している

Loc 3772
繰り返そう、もはや公共性が個人の生を意味づけることはあり得ない。したがって「成熟」を「大きな物語」が規定すること自体があり得ない。

Loc 4159
そんな「敵」と「味方」の区別にこだわるのは、端的に言ってしまえば矮小な自意識の問題でしかない。

Loc 4307
私たちは今、打ち砕かれた「断片」のような世界を生きている。/世の中は不透明で、全体像を把握することなど到底不可能だ。何を信じてよいのか、何が価値のあることなのかは誰も教えてくれない。国家や歴史は個人の人生を、少なくとも昔のような形では意味づけてくれない。その結果、誰かに(世の中に)目的を与えられることに慣れていた人々はそれを見失い、不安の海に漂うようになる。

Loc 4402
そして、現代における成熟とは他者回避を拒否して、自分とは異なる誰かに手を伸ばすこと――自分の所属する島宇宙から、他の島宇宙へ手を伸ばすことに他ならない。

Loc 4811
比喩的に言うとね、この国は戦後ずっとすべての国民に「雑食系」であることを、特定のライフスタイルを強要してきたんですよ。それが今、鎖から解き放たれて「肉食系」にも「草食系」にもなれる社会になった。これは単純に肯定していいんじゃないか。

Loc 4955
世界が男性の疑似人格に見立てることができたからこそ、自分の自意識の問題を解決することが社会化であり、世界の問題を解決することの比喩としても機能したのが近代文学、特に教養小説だったと思うんですね。