[読書メモ][Kindle]『知的生産の技術とセンス』

Loc 160
学校では「ものごと(知識)」は教えるけれど、ノートの取り方や情報の整理のあり方といった「やりかた(知識の獲得)」は教えていないのではないか?と梅棹先生は指摘します。その結果として、「基礎的素養において欠陥のある研究者がつぎつぎと出現してくる」という警句は現代にも通じるものです。

Loc 1144
一見自由に情報にアクセスしているようでいて、逃れることのできない透明な仕切りがあるように見えることから、こうした現象は〝フィルターバブル〟などと呼ばれます。

Loc 1155
常に自分の把握している情報の外側にはさらに膨大な情報が存在するという謙虚な気持ちを持つことでしょう。/いかにものしりでも、専門家でも、すべての情報に通じることができない時代にとるべき唯一の戦略は、さらに情報を集めることではありません。出会った情報の外側にさらに情報がある可能性を視野に入れつつ、それが自分にとってどういう意味を持つのかという、情報と自分との関係を常に意識する思考が必要なのです。

Loc 1171
あるいは、家に帰らなければ本を開くことができなかったという機会損失がなくなるばかりか、キーワードを利用して書籍を検索するといった積極的な情報の探し方もできるようになったのです。

Loc 1387
個人が自分で書籍を作れるようになったからには、その編集や校正もまた個人が行わなくてはならないというようにハードルが上がった部分もあります。

Loc 1415
インプットだけでなく、アウトプットをするメリットがもう一つあります。それは、情報は、情報を出している人の周囲に集まってくるという経験則です。

Loc 1475
例えばニュース記事に対して反応することも一つの知的アウトプットであると先述しましたが、その反応がありきたりな「これは面白い」「これはひどい」に留まっているのならば、新しい情報は何も生まれてきません。/しかし、「これはこうした背景があるのではないか」といった洞察や、「関係はないのだけれども、こうした出来事を思い起こさせる」といった反応には、情報に触れた私たち個人の「声」があります。この「声」こそが、新しい情報なのです。

Loc 1602
ジョナサンの例は、単なる「努力すれば報われる」という話として片付けるわけにはいかない側面があります。それは、アウトプットをやめずに蓄積することで、①しだいに彼のアウトプットが彼の個性を開拓していったこと、そして②アウトプットに個性が増えるにしたがってそれを求めている人々が彼を発見した、という2点です。

Loc 1633
すると無料で価値のあるものを提供して、ファンになってくれた読者に対して有料で親密なコンテンツを提供するといった「別の方法」が模索されるようになります。「すべてが無料」だった平原が、にわかに立体的になってくるのです。

Loc 1771
インプットに際して、知らず知らずのうちに「これは自分の専門領域ではないから」という理由で、情報をフィルタリングしてはいないでしょうか?第2章で書いたように「情報爆発」が進む中、情報のフィルタリングが不可欠であることは仕方がないものの、この「専門」については、いつのまにか自分を縛るものになっていないか、注意する必要があるでしょう。

Loc 1945
知的生産のセンスを身につけた人は、普段の仕事においても没個性なルーティン作業にあまんじることはないでしょう。ルーティンに見えるものの中にもよりよくできる何かを、少し異なる方法でできる何かを探し求めるはずです。そうした人は画一的な組織の中でも個性を獲得していきます。そして個性は代替不可能なのです。