[読書メモ]『Den Fujitaの商法〈2〉』
p12
頭の悪い奴はいつの時代にも淘汰される
p13
私は、ルームランナーなどという、同じところをサルみたいに走るしろものや、ぶらさがり健康器のようなものは、産業化しようとは思わない。あれは、どちらも使用者に苦痛を与えるものである。/私は、産業化するものは、楽しさがなければならない、と考えている。
p15
タダでヨソの宣伝をするほど馬鹿らしいことはない。
p21
電話では、挨拶抜きで「昨日の売り上げは?」とたずねるわけにはいかない。「お早うございます」からはじまって、「お天気はどうですか」といったやりとりがあって、それから「昨日の売り上げはいくらですか」と本題に入る。チンタラペースである。時間も浪費するし、電話代もバカにならない。/それに、電話の場合は、聞きまちがい、書きまちがいがどうしてもおきる。
p29
死んでいく連中を相手にするようなビジネスは先細りで、将来性はまるでない。
p32
ちょっと先を行くのが一番いい。ということは、現在、すでに存在するものを、ほんのちょっと変えればいいのだ。あまり変えすぎると人がついてこない。
p38
全天候型ビジネスを狙うから力が散漫になって失敗するのだ。/全天候型ではないビジネスのほうが大きく儲かるはずだ。
p39
そういった悲劇を防ぐためにも、欧米の合理主義を持ちこむ必要がある。ところが、日本人の心の片隅には、どういうわけか、欧米の合理主義を排撃したがる何かがある。だから、泣きながら辛抱する。失敗しても仕方がない。俺は学歴もないし、頭も悪い。失敗するのは当然なんだ……。そういって、自分を慰めて納得している。/私にいわせると、そこがおかしいのだ。
p43
私にいわせるなら、東大出身者は大蔵省とか日銀などといった競争の激しいところへ行くものだから力が伸ばせないのだ。私のように誰れもいないところで能力を発揮すればなんでもできるのだが、そうしようとしない。
p45
自分が怠慢で、サボっていて、頭が悪いことをすべて景気が悪いことになすりつけているようでは、絶対に儲からない。こういう人は、景気がいいときでも儲からない人である。
p51
日本語は、俳句にしろ短歌にしろ、すべて、五、七音が基礎になっている。日本語で語呂がいいという場合は、三、五、七音で成立している。「マクドナルド』も今では、単に『マクド』といわれることが多くなった。
p60
人間は「上品です」という言葉に弱い。それはとりもなおさず、下品な人間が多いことを物語っている。下品であるから、なんとかして上品になりたいという潜在的な欲望がある。
p64
ハンバーガーと一緒に客にすすめるコカコーラは、摂氏四度がもっともうまいとされている。だから、全世界共通でコーラのディスペンサーの温度は、摂氏四度にセットされている。そこまで温度管理をきびしくしているのだ。
p76
文明とは清潔ということなんだ。
p89
日本には、負けて、ウラぶれて、ドブ板を踏みはずすような生活をして、それに耐えていくのが男だという発想がある。/貧乏くさく、わびしい発想である。
p90
明治以来、今日に至るまで、日本はずっと洋風化の道を歩んできている。
p107
マクドナルドでは、つくってから十分間が経過したハンバーガーは捨てることになっている。同様に、フライドポテトはつくってから七分間経過したら捨てることがきめられている。
p108
ひとつの思想にとらわれて、ほかの見方ができないことは、マイナスにしか作用しない。
p121
現代人は自分が参加できるものに興味をもつのである。プロ野球の観客も、ただ見るだけではなく、一生懸命、声を合わせ、声援を送ってゲームに参加している。/これからは参加の時代である。
p123
他社の社長と話をすると、どうやれば社員にやる気を起こさせることができるか、ということが、よく話題になる。/私は簡単なことだと思う。/社員が自分の仕事に使命感をもつようにしていけば、自然にやる気を起こすものである。/こういう仕事をやれば世の中のためになるんだ、人のためになるんだ、ということを社員に教えていけば社員はやる気を出すものなのだ。世の中のためになる、人のためになる、ということは、裏返せば自分のためになるということでもある。
p124
明治以後の日本の資本主義の発展の推移を眺めると、会社の経営者とかオーナーで金持ちになった人は多い。しかし、社員を金持ちにした社長というのはひとりもいない。
p127
プロのサラリーマンを何十年もつづけると、くさってしまう人材もいる。これまでの会社はそうやって有能な人材をくさらせてしまっていた。これはその会社にとって損であるだけでなく、日本の損失である。
p129
合金というのは金属と金属を合わせてつくるが、できあがった合金は元の金属よりもはるかに強く、いいものになる。
p132
マクドナルドのカウンターの高さは九十二センチと決められている。八十七ンチでもなければ、七十センチでもない。九十二センチである。/どうして九十二センチになったかというと、科学的な調査で、人間がポケットから一番お金を出しやすいカウンターの高さが九十二センチだとわかったからである。
p136
「マックシェイクが飲みたい」ということは「オッパイを吸いたい」というのと同じことなのである。
pp138-139
母乳のスピードで「マックシェイク』を吸わせるというのは、私の考え出したことではない。マクドナルドのノウハウのひとつである。/日本人にはなかなかこうした発想は出てこない。仏教・儒教的な発想が障害になって、自然に挑戦するというようなことは考えられなくなってしまっている。仏教・儒教的なものを捨てないかぎり、こうした自由な発想は出てこない。
p143
マクドナルドのパンの厚さは十七ミリときめられている。その厚さのパンが一番うまいと感じられるからだ。
pp146-147
夫だけが英語ができて、奥さんは日本にいて山猿みたいな言葉をしゃべっているのでは仕方がない。
p154
日本製品は評判よくても日本人はホメられない
p156
日本人が、「前向きに積極的にやりましょう」というときは、なにもやらないことである。
p157
大坂弁の「考えておきまひょう」は「ダメだ」という意味である。「とっとと、東京へ帰ってくれ」というのが「考えておきまひょう」である。
p158
こういったユーモアは日本人にはない。ユーモアに欠けているというのは、心にゆとりがないからである。
p161
日本人の最大の弱点は食べものである。どうしても和食にこだわるところがある。/著名な財界人などと一緒にビジネスでアメリカに行くと、日が暮れてきたら申し合わせたように、/「日本料理店へ行こう」という。
p167
私のところに、よく、名刺一枚を持って面会にくる人がいる。私は名刺一枚で多忙なビジネスマンに面会を強要するのは失礼だと思う。/私は、一日に三億円を売らなければならない商売をしている。一日に十時間働くとして、一時間に三千万円を売る商売をしていることになる。その貴重な時間を名刺一枚で盗もうというのは失礼であると思う。表札みたいな金のノベ棒に名前を彫って持ってくるのであれば話はわかるが、一枚十円程度の名刺をもらったところで仕方がない。
p180
経営者の人たちと話すと「ウチは訓練に五年かかります」とか「一人前にするのに十年かかる」などといっている。/そんなことでは、この忙しいビジネス戦争に勝ち残ることはできない。
p182
「そういえば、日本人は会社に行けばかならず会える。休まずに出てきている。しかし、会社には出ているが、なにもしていないではないか。働いているのかね」
p183
アメリカでは会長をチェアマン、社長をプレジデント、副社長をバイスプレジデントというが、責任者はこれだけである。部長も課長も課長代理も係長も主査も主任もない。/バイスプレジデント以下はノンタイトルである。/ところが、日本人は年功序列制が好きで、こまかく肩書きをつけなければおさまらない。まったくムダをはぶいて合理化するとなると、係長とか主査、主任などという肩書きから一掃しなくてはならなくなる。
p192
私は、目先の一千億円産業ではなく、二十一世紀における巨大産業をめざしているのである。
p193
『フィレ・オ・フィッシュ」という魚のハンバーガーで消費する魚が、日本の水揚げ量の約半分である。ピクルスにいたっては、四国で生産するピクルスを全部使っている。